Madama Butterfly

『BAKXAI−バッカイ−』(OG公演 ベニサン・ピット)  ギリシャで愛しのあの子は蝶になる


注! TPT57公演『BAKXAI』を非常に偏った視点で観ています。
普通の感想を求められた方はまわれ右。

12月25日の宣言からやく8ヶ月、ついについにあの子に会いに行く日となりました。
朝からテンパリングで何をするにも上の空。
これがKOI?(どうでしょう)

軽くギリシャ神話の予備知識を入れ込んで夕方いざ出陣。
自転車をこぎながら、にやける姿は夕暮れ時の怖ろしさ。
両国にある劇場は普通の街にぽつん、とあって不思議な融合でした。
倉庫な感じだしこんな小劇場は久しぶりです。
客の入りは…微妙?(平日だしな)
でも幅広い客層でさすがギリシア←?

チケットは席番しか書いてなかったんですが、座ってみると一列センターど真ん中で。
ちょちょっと聞いてないデスケド…
まぁ気になる子はあの子だけなので平気かと開き直り(なんて子!)
因みにチケット持っていったにも関わらずもぎられませんでした、ナゼ?
あれじゃタダ見も出来ちゃうわよ。

舞台が凝ってて仕組みも私的には結構斬新でした。
何ていうんでしょう、待っている間客席が(友達同士で来てる人もいるのに)
静寂に包まれてたのも不思議な印象。
そのせいなのか、静かな舞台の空間にすいこまれる感覚。
ベニサン・ピットはそういう空間なのかもしれません。
とっても貴重な劇場です。

さてさて本編ですが…
ギリシア文学に詳しい訳でもその時代の歴史に詳しい訳でもないので真剣に言葉を追っても、
深く理解できたかは微妙。
テーマが「狂信」という事だけはよく分かりましたが。
神(宗教)と人との問題は簡単に言葉にしていいものでもないと思っているのでここは各々の判断に委ねて。

「狂信」というギリシア時代の教えが、どこか現代の国を動かしている人たちの行動に通じていると
感じたりするのもぞっとしますが。
でも一番普通で理解し易い答えを出していたのは牛飼いのあの子の台詞だったように思えます。

「人は神に近すぎ過ぎてはならない」

折衷案のように聞こえるけど、これが妥当かなと。

「狂信」で思いつくのは江戸時代に蔓延した「ええじゃないか」
なんでああいうものって不気味な怖ろしさを感じるんだろう。

と、本筋の話はここまで。
本当はもっと真剣にお話に入り込もうと思ってたんですよ。
でもあの子が登場した途端に…不覚ながら現実に引き戻されまして(爆)
お芝居の本筋に関係ないのに泣いてしまいました、少し。
これって役者さんに対して失礼だと思うし、そうすまいと思って頑張ってたけどやっぱり無理だった。
「ごめんなさい」とここで謝っておこう。

だって目の前であの子がお芝居をしてるんだもの。
約束を果たしてくれたんだもの。
どれだけこの時を待ったことか。
しかもあの子は女優としてますます輝きを放ってて、でも宝塚で惹きつけられた目力は健在で。
あの瞳を見ただけで全てがフラッシュバック。
一筋の涙で済んだ事がむしろ奇跡。

思ったよりしっかりした役を頂いてる上にエロス担当(え)で色んな意味で心臓バクバクでした。
あの子思ってたよりセクシーダイナバイトボディなのね。
宝塚時代隠してたか、ちくしょう(いい加減にしなさい)
でもま、一筋縄ではいかないような役をやる辺りあの子らしいなぁと思います。

こんなにはまるとは思いませんでした。
正直、初恋の天海のユリ様を越えてます。
ユリちゃんは本当に遠い、遠ーい神々しい存在な感じなので舞台も行かないし。
でもあの子のこれからの活動は親身に応援していくと思う。
やはりこれはKOI?いやむしろAI!!

他の役者さん。
佐藤オリエさん、美しい方でした。
萩尾作品のように中性的美しさのバッカイと悲しい狂い方が胸に痛む母。
両面性が見られて満足。
メンズ(進藤、中嶋、花王)それなりに好演。
バッカイ信者の中川さんと若松さん、印象深い役所でした。
コロスって事は役になりつつも少し傍観的意味合いも込めてて、
ギリシアの世界観に連れてくれたのはこの二人のおかげ。

深い世界なれど問題を押し付けようとしない所に好感が持てた公演でした。

2回のアンコール。
あの子がはにかみ笑いをしてました。
うん、嬉しそうだ。
そんなあの子の表情を見てたら(直視出来ないからチラ見)胸がいっぱいになってきて
また泣きたくなりました。
結局劇場を出て近くの公園で一人号泣しましたとさ。
あの子も楽しくて嬉しいだろうし、私もそんなあの子が見られて嬉しくて。
笑う事も出来ずに、この感情が涙にしか変わらない自分の愚かさに失笑しつつ。

今日の素敵な記念日(舞台業再出発ディ)を忘れまいと誓った夏の夜。
2006.8.30